
昨日、スティーブン・スピルバーグ監督のディスクロージャー・デイを鑑賞してきた。
宇宙人と子供の友情物語の映画と言えば、「E.T.」。
果たして今回はどんな作品かと興味津々で映画鑑賞に臨んだ。
平日昼間だったためか、自分を含め3人しか居なかった。
あまり人気を博してはいないのか・・・。
本日は批判爆発、刺々しい内容、かつ、スピリチュアル全開となっておりますので、閲覧ご注意くださいませ。
鑑賞して気になったのが二点。
1 キリスト教における神と人間の描かれ方
2 宇宙人の容姿
1については、キリスト教徒が描いた世界なので、その経典に則った世界観が軸になっているだけに、神道・仏教に傾倒している自分はどうしても、すんなり受け入れられない理屈や価値観がちらほら。
「人間は神が作った最高傑作」という考え方がキリスト教にあり、セリフとしても登場していたと思う。
「最高傑作」
・・・。
だから、と短絡的に結論付けるのはよくないとわかっているが、あえて自分の考えを表明する。
だから、そういう考え方が主軸にあるから、彼らは不遜で高慢なのか、と思ってしまう。
人類の歴史を振り返った時、侵略と略奪の歴史を抜きには語ることはできない。
侵略と略奪はキリスト教徒だけの所業ではないが、その歴史と、脈々とあからさまに継続している白人種以外の人種へのヘイト(白人至上主義)が脳裏にちらついて、心がざわつく。
植民地支配により、白人以外のキリスト教徒もたくさん地球上には存在する。
2025年現在、キリスト教徒が約25億人(世界人口の31%)、次いでイスラム教徒が20億人(世界人口の24%)いるとのこと。
なるほど。
これから人類がどのような道を歩んでいくのか簡単に予見できそうだ。

「人間は神の似姿として創造された」というキリスト教の考え方にも、自分は違和感がある。
真逆で、「人間が、自然の中や生活の中に神々を感じ取り、その姿を想像し似姿を創造して祀ってきた」というのが自説。
キリスト教が言うところの神と神道の神は全くもって別物なので、同列で議論することはあまり意味をなさないだろうが・・・。
以前のブログにも書いたが、神々は人が見たいもしくは思い込んでいる姿で登場する。
ある人には昔から神の姿として描かれている人間に似た姿に見えるだろうし、ある人には龍の姿、またある人には光の玉、別の人には陽炎のような揺らめく物体に見えるなどさまざまである。
人智を飛び越えた超越的絶対的存在が「神」。
心の拠り所として、いつも自分の中に在る。

2の宇宙人の容姿について。
映画の中の宇宙人は、胴体に頭と四肢が人間と同じ場所についている姿で登場。
それぞれのバーツの比率は人間とは異なるが、顔には二つの目と口がついてたし、手には指(何本かまでは確認できなかった)があり、ひじとひざがあって腕や足を曲げて椅子に腰かけていた。
異形の人間やん・・・。
もっと違う姿しとるやろうに・・・。
と心の中でヤジを入れていた。
鑑賞後、温泉に寄りぼんやりと映画について反芻していると声が聴こえてきた。
「そういう姿(人間に近い)をした者もおるし、お主が視ている光の玉のような地球に存在する物質を通過するようなエネルギー体の姿をしているものもおる、いろいろじゃ。
砂浜の砂の数ほど、宇宙には星がある。
地球もその星々の一つにすぎぬ。
そこに暮らす「人間」も、また、「宇宙人」じゃ。
そう考えれば、「人間」と似た姿をした存在が居る星があり、そういう存在がいてもおかしくはないであろう。
「向こう」からすれば、自分たちに似た種族が地球という星に存在している、と思っておるわい。
似た波動や周波数はお互いに引き寄せあう。
だから、人間に似た姿の宇宙人なるものを引き寄せ、引き寄せられるのじゃ。
人類の周波数や波動が変われば、また別の姿をしたものが来る」
ということだ。
声の主は、・・・。
宇宙の闇、から。

ちなみに、現在の人類の周波数は高くないらしい。
ということなので、やって来る宇宙人もそれなりだろうと想像する。
ただ、知能というか、文明というか、そういった類は人類はまだまだ「宇宙人」には及ばないようだ。
今、入ってきたのが、
地球にやってくる宇宙人よりも更に高い周波数帯に存在している「宇宙人」が、それよりも下の周波数帯に居る「宇宙人」を地球に派遣している、
とのこと。
宇宙人について語り始めてから、耳が痛くなり、上へ上へと引っ張られる感覚に襲われながらこちらを書いている。
目的は、
「覚醒」
痛くてたまらないのでここまでにする。

いつも何処にいてもあなたを護っています。
大丈夫。
預言者・神運び人 翔月